AI漫才師 by Gemini

3分の漫才を作ってください

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タイトル
漫才:AI漫才師

登場人物
A: ベテラン漫才師
B: AI漫才師

設定
AとBは漫才の舞台に立っている。

A:今日はちょっと変わった漫才師をお呼びしました。AI漫才師のBさんです!

B:皆さん、こんにちは。AI漫才師のBです。今日は、AIと漫才についてお話したいと思います。

A:AIって、漫才できるの?

B:もちろんです。AIは膨大な量のデータから学習し、人間の言葉を理解し、創造することができます。漫才もその一つです。

A:じゃあ、ちょっと漫才やってみてよ。

B:はい。では、Aさんからお題をください。

A:うーん、じゃあ、「猫」で漫才やってみて。

B:はい。猫は、可愛らしい動物ですね。ふわふわとした毛並み、愛らしい瞳、そして自由気ままな性格。多くの人が猫に魅了されています。

A:確かに。うちの猫も、毎日癒されてます。

B:猫は、人間にとっても大切な存在です。ストレスを軽減したり、孤独感を和らげたりしてくれる効果があると言われています。

A:そうなんだ。猫ってすごいね。

B:はい。猫は、まさに癒し系動物ですね。

A:うん、うん。

B:・・・

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画像とテキストの間で仏と私は無限に遠ざかる

28 March 2010 posted by puis sang-soo

2010年3月23日に  京都の仏教寺院を巡り、仏像やお堂や庭園を見て回る。

都五山の次は、京都十刹のうちのいくつかの寺を巡ろうかと頭の中で漠然と考えていたのですが、軽く調査する時間もないまま京都めぐり予定日が来てしまったので、この度は、三十三間堂――哲学の道――銀閣寺――広隆寺の順でまわってみることに付焼刃的ですが、決めました。その決定を下すのに、とりたてて何らかの必然性があったというわけではなく、たまたまこないだ見た京都テレビの番組で、哲学の道が映しだされていたのと、偶然古本屋で手に取った仏像のガイド本に書かれてあったのと、ウィキペディアの「哲学の道」ページの「周囲の名所」の項目に「銀閣寺」がのっていたというように、さまざまなメディアのなかを流れている情報の一端を恣意的に切り出して、そして、時間と空間とお金の制約という条件の中でつなげたら、こういった連なりがとりあえずできたというだけで、その他に強い動機や目的があったというわけではありません。もっとも、その仏像ガイド本によってこの歳になってやっと各種の仏像の違いを認識しだしたために、仏のなかでもとりわけ薬師如来は信者を内在的に生かす、つまりは、信者の現世利益を願っている仏である、しかも一切衆生の病癒の願もたてている仏であることを知り、私の身体的病から出発して、薬師如来の前に参って、病気平癒の祈願を捧げるという擬態を演じる、そんな弱い目的あるいは弱い理由があって、この寺めぐりの最後に広隆寺をもてきたことを付け足さないというわけにはいかないのですが……。

ちなみに私の寺への現在の興味は、まず第一に庭園で、次に建築物(お堂、門、塔など)であり、最後に仏像です(仏僧の書とか、墨絵や、あるいは茶器などを除いて、大雑把に言えば)。精神性を強調する仏陀の教え的な言葉の物語内容よりもむしろ、簡素な、平面的な、そして静かなというか、または意図と偶然性のあいだのあいまいな地点にあるというか、それとも必然と偶然の二項対立を解体してしまうというか、それらよりももっと、視点の取り方によって一方では洗練された意図が感じられ、他方では野蛮な偶然に見えてしまう、そうした諸々の物の配置の仕方の技術形式の網の目の曲線のほうに関心があるわけです。その物の配置が、それを眺めるものの位置によって、無限の観念と類似しているとか、あるいはある区画は無限と対応しており、別の区画は有限と対応しているとして、両者の差異性と同一性を確定し、両者が比較できるといったことは、この際どちらでもよくて、意図と偶然を覆っていた無限という観念が現在ではどれほど枯渇してきているのかを測定することが重要なのだということは、ひとにはあまり知られていません。とはいいながら、この観光の翌日に実家の近くの曹洞宗の小さな寺で行われた、彼岸の法要に組み込まれた父の27回忌で、僧‐オヤジの退屈な法話を聞き、母が焼香するのを傍観した後で、私は道元の『正法眼蔵』を、釈迦のオリジナルな言葉をすっとばして読まなければならない、と考えたりもするのでした。

蓮華王院三十三間堂

9:30出発――11:00JR京都駅到着――11:15三十三間堂到着――12:30京阪七条駅到着 

蓮華王院三十三間堂

持ち物リスト

財布
携帯電話
デジカメ
iPod shuffle (2nd generation) – Serial No: 4H8195BW1ZK
ゲルインクペン
B5ノート(罫線なし)
仏像ガイドブック
ミシェル・フーコー『言葉と物』
弁当

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地図は持たずに、ましてGISも利用せずに、頭に入っているおよその「地図」を参照して、京都駅から徒歩で三十三間堂へと向かう、市街地を碁盤の目状に刻む大通り、七条通に沿って行くので分かりやすい。拝観料を支払い、まずは庭を、池を覗く、とお堂ほどのシンメトリーは感じとられず、池の縁はランダムに曲がりくねり、その側の植物に囲まれた小道も非数学的なカーブを描くものの、自然を模倣しているようでいて、不自然な木々の配置、四季折々の花がそこでは同時に見られる。

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